ノグチとカリオン


「ノグチとカリオン:その献身と謙虚」

パウロ・セサル・ピエロラ・マギーニャ(中学5年) 

人を人と比べるのはよくないと言います、しかし一つの例をみてみたい。
私達の学園colegio Hideyo Noguchiに名を冠する、我らが模範である野口英世博
士の人生、そして我らが同朋、“ペルー医学の殉教者”ダニエル医師の人生。
その比較は、私達に彼らの人生の類似性、彼らの志と熱望、彼らの到達したと
ころ、その克己と自己犠牲、献身と、何にも増してその人類へ向けられた愛を
知ることを許してくれるでしょう。
 周知のように今日では、ペルーにおいても世界でも、それぞれの学校で与え
られている廃れた教育など、真の価値というものが重大な危機を迎えています。
このような危機は、もし私達がこの二人の医師からその人生と為した事をより
学んでいたなら、避けられたはずです、彼らを見るだけでも私達は、両親が説
いてくれたことの真価や、人々の幸福のためへの関心の大きさを知るに充分な
はずでしょう。この作文を通して私達が、理知的な力、道徳、そして何より人
道的なことについて二人の偉大な人物から気づきを得るのはよいことです。
 彼ら二人の医師は、距離も時代も遠く離れたところで生まれました、しかし
よりよい世の中を目指すという願いと、それ以上に人類への想いでつながって
います、彼等は互いに知る事はなかったけれども、もしも彼等が共に研究を進
めていたなら、私達の繁栄のために彼等がその命を捧げた病気の治療法につい
て、発見が為されていたであろうことを、私は何より強く信じます。

それら偉大なる医師二人の人生は、常に逆境の中に特徴づけられてありまし
た。野口博士は生まれて間もない幼少の頃に左手の火傷に苦しみ、指の自由な
動きを失い、その結果、野良仕事はできなくなり、クラスの仲間達からは常に
冷やかしをうけ、しつこいからかいに最初は苦しみました、しかし、打ち勝つ
事への弛まぬ願いは彼を前に押し進め、友人達そして何よりもその母の助力は、
彼に働きながら目標に向かって進む力を与えました。カリオン医師は、人種差
別の犠牲となれなければならなかった、母方はパスケーニャ生まれの、白人の
亡命者の流れであったにも関わらず、彼の目鼻立ちや身体的特徴はアンデスの
男のものでした。彼は故郷を後にしリマに着き、そこで差別の苦い味を知りま
す。彼にとって不幸だった事に、その当時のリマは、社会的政治的思想が一連
の変化を続けている時でした。19世紀の後半にはある政治信条の波が、北か
ら南までアメリカ大陸を一掃しました。北アメリカで起きた南北戦争で負けた
た南部の白人達は、ハーバード・スペンサーの説を基に、“世界人種(人類民
族)”という動きを促進し、 才能のあるもの、あるいはおそらく秀でた者達
が優勢となり統治するように呼び集められました。このことはつまり、カリオ
ンは勝利を収めるわずかなチャンスもなく、それでも落胆する事はなかったと
いうことを我々に示します。

彼ら両方の場合において、母親の果たした役割は、二人の大人物の大きな成
功へのとても強い柱、支えとなったことです、彼らを導き、忠言し、手伝いそ
して愛したのは、母でした。これらの愛情ある態度は彼らの人類(隣人)への
愛情への契機となりました。
二人とも父親の愛情、あるいは少なくとも、普通強く求めるようなそれを持
つ事がありませんでした。野口博士の父親は、酒をよく飲み、遊びの悪癖があ
り、そのため彼と話したり、抱えていたであろう問題に手助けを出したり、あ
るいは普通子供が父親と共にしたいと想うようなたくさんのことをする時間を
あまり持ちませんでした、おそらく、生きている父を持ちながら、確固とした
父親像を持つ事ができなかったのは、彼にとってはもう少し厳しい事だったと
思います。カリオン医師にとっても厳しく、彼の父親は彼の母親が妊娠してい
るのを知ったときに彼女を見棄てました、彼は父親像を持つことなく、父を知
らないままでした。しかし両者の場合とも、母の姿が父親の分まで2倍も重要
さを持ち、母親はズボンを身につけ、子供達が、世界が忘れる事も出来ないよ
うな大きな成功を収められるように戦わなければなりませんでした。
二人にとって、その故郷を去るのは辛いことでした、しかし勝利をおさめ打
克つためには、最も愛するものから去らなければならなかったのです。それで
彼等は生まれた故郷を去り、貧しく発展からは後れた村であったにも関わらず、
その故郷へと何年もの後に還るのです。

二人の人物が選んだ専門の道は、医学でした。この道は彼らに、次の一歩を
与えるものとなり、おそらくそれは彼らの人生において最も重要なものでした。
彼の人生は犠牲と献身に充ち、次の一歩、そして新たな一歩を余儀なく実現
させながら、その人生を世の中のためへ捧げました。
野口博士はその生涯の全てで、死の病、黄熱病の原因の研究と治療法を探し
ながら過ごしました。知識を広めるためにたくさんの国々を訪れ、太平洋を渡
り私達の国へ、同じ原因を持つであろう病気の研究のためやってきました。彼
自身たくさんの打撃をうけながらも、止まる事を知らぬ彼の歩みは、その国に
誇りを与える為に、そして人類へこの無情な病の治療法を与えるために、前進
を続けたのでした。そのようにして、黄熱病のウイルスの研究という大きな願
いを抱き、アフリカへとつきました。その地で、彼の研究所で夜も昼もなく働
きつづけた後、その治療法の発見のため細心の注意を払い身を入れ続けたその
同じ病に倒れ、亡くなりました。
カリオン医師の場合は、中央鉄道の建設に当たっていた労働者の大半を襲っ
ていた、ベルーガ(ペルーいぼ)の研究に大きな関心を示しました。同朋達を
助けたいという、心の奥より湧く強い願いに突き動かされながら、感染した
人々のいる場所を駆け回りました。そこで人々の面倒を見、助け、同時にその
惨事をもたらした、治療法もなく死へと追いやられる病気の研究を始めました。
同時に医療における重要な経験も身につけていき、彼の得た知識と病気の原因
と思われる仮説などを説明したポスターを、貼り出しました。そして急ごしら
えした研究室や病院でこの病気のために住み込みで働き続け、彼の努力が充分
なものではないと気づいた時、自らの体を生きた研究所に変えることを決断し
ました。非常な勇気と怒りにも似た大胆な勇敢さを持って、彼はベルーガのサ
ンプルを接種し、39日間に渡ってこの恐ろしい病気の症状を記し、たった2
8歳の若者が(こんな人、ほかにはいない)、使命(志)に充ち、彼の知らな
いたくさんの人々の救われる姿を夢見ながら、その命を捧げました。

このことが何より大事なことなのです、そしてこのことこそ取り戻さなくて
はならない。私達は彼らの努力に対してお返しをしなくてはならないと、誠心
で感じます、そしてそれにはたくさんのやり方があります。級友を助けながら
ある問題を理解したりすることから、ある村の発展の為に働いたりすることま
で。私達の国のため、世界のために、やるべき事はたくさんあります。この二
人の人類に習うべき例を見出し、私達の人生の困難な道筋における道しるべを
持つことから始めなくてはなりません。それが二人の医師の残してくれた最大
の価値です。彼らは、その仕事によって誰を今助けているのか、自らの命を捧
げながら誰の命を救っているのか、そのようなことは考えもしなかったし気に
もとめなかった。ただ、他の人々が、それぞれに始めた仕事、それは科学的な
だけでなく人道的にも、続ける事ができるように、それだけを気にかけながら
それぞれの命を与えたのです。そして、その課題を終わらせるために駅馬を引
き受けたのです。

私達もこの役を引き受けなくてはなりません!手渡されたボールを一人から
次の人へと放り投げ合い、誰かが事を起こすだろうと待つのはもうたくさんで
す!もし世の中を変えたいのなら、私達自身が変わることから始めましょうよ。
それが私達の約束でしょう。誰も私達に死にましょうとは頼んでいません。で
も世界は、このとても難しくて同じくらい重要な宿題を私達が終わらせる事を、
必要としているのです。
たぶん、私達はまだこの偉大な英雄達の成し遂げた事の真価を、見出しては
いないのです。私達は彼らを生きていない、彼らを苦しんでいない、彼らのよ
うには何も犠牲にしていない、同僚達あるいは友人達がある病気で死んでいく
のをもう見ないために。
私はあなたたちにわかってもらえるよう一つの例を挙げようと思います、わ
ずかであっても、この作文の中であなた方に伝えたいから。
考えてみましょう、誰かの家族がこの病気にかかり、野口博士があるいはカ
リオン医師がその病気を治すために援助してくれたと。すぐその瞬間から、彼
の価値ある努力と働きへ私達は感謝を捧げる事でしょう。それでは考えてみま
しょう、それに加え彼等は私たちの親類の命を救うために、今なおその生命を
与えつづけてくれているのだと。そしたらずっとずっと感謝していくと思えま
せんか?私はそう思います。それでは、そうです。彼らの成し遂げた事に敬意
を捧げましょう。彼等自身もまた人生をかけて守ろうとしたもの、その努力の
真価に学び、続いていきましょう。その死を決して無駄にしないで。