ボランティアになったわけ


私が、ペルーのノグチ学園で日本語教師のボランティアになったわけ

大学を出て、猪苗代の磐梯山麓にあるホテル(ヴィラ・イナワシロ)に5年間、
勤めました。
そこで、色々な企画の仕事をさせて頂き、山歩きや歴史紹介、各種のセミナーやコン
サートを担当させてもらう中で、様々な方との出会いの機会を得ました。
お客様や、講師の方々、労を厭わずに手伝ってくれるスタッフたち・・それぞれの立
場を越えて、人と人との出会いとして深く心に残る方々が、たくさんありました。
そのような出会いに支えられながら、自分自身の興味もまた、広がり、少しずつ深
まっていったように想います。
それまでは教科書に書いてあることすら、よく認識してなかった会津の歴史や風土と
いうものにも、関心を持つようになりました。と同時に、かつて人々のために生きた
先人たちのように、自分もまた何か人の力になれるものをのこしたいと、思う様にも
なりました。

また、学生の頃からの旅への強い想いもあいまって、慣れ親しんだヴィラ・イナ
ワシロを2000年9月、退社しました。
企画を立てるごとに、用事をおして参加してくださっていたお客様や、営業先の方
、 地元の温かい人たちの顔を思えば、辞めたくないと言う気持ちも、消しきれません。
でも、それ以上に、何かを求める気持ちが抑えられなかったのです。
そして、かねてからの憧れだった熊野詣でや、東北のバイク旅行、アラスカの先住民
族の方を招いての、神話を聴く会など、忘れられない数々の経験もまた、そこから始
まりました。
11月、会津嶺という冊子で「ペルーで日本語教師のボランティア募集〜野口英世ゆ
かりのノグチ学園」という記事を見つけ、すぐに代表の方に電話をしました。ヴィラ
に入社したときと同じく、直感でした。これだ、という気がしたのです。
ドクターノグチを語り継ぐ会の代表 照島氏にお会いし、氏の考えや生き様に感銘を
受け、思いは強まりました。
以下は会津嶺の9月号に載せて頂いた会津への想いです。
会社を辞める直前に記したこの文章には、今も変らないふるさとへの想いと、決意が
こめられています。

「夕暮れ。激しい雷雨があがり、薄紅の残照にうかびあがった磐梯山。古代の人々は神
様は山へ降り里を守ると信じ、山の神は田の神、磐梯山は天に架ける磐(いわ)の梯
(橋)と考えられていました。雲を従え燦然とそびえる勇姿は、今も昔もこの地に生
きる人々の心のよりどころ。会津嶺として慕われ、また畏れられる対象であったこと
が偲ばれました。
豊かな自然に惹かれ、猪苗代に移り住んで6年。毎日変わる猪苗代湖の色や、真っ
白な冬の朝。春先、鏡のように広がる水田。緑にうねる夏の田と蛙の声。季節を告げ
る山の色。ホタル、星空、蕎麦の花。町中が黄金色に染まる実りの秋。・・すべての
季節がいとおしく、心に響いてきます。また、たくさんの人との出会いを重ね、会津
の歴史に触れるうち、少しずつ、先人たちの微かなささやきに耳を傾けるようになれ
た気もするこの頃です。
私の住む寮の近くには会津藩祖・保科正之公をまつる、土津(はにつ)神社があり
ます。大きな亀石の上には「宇宙の万理を窮められた会津藩主」という意味の、神道
最高の霊号を奉った「土津霊神」の碑が立ち、公の業績を記しています。亡くなられ
る直前に猪苗代を訪れた保科公が「万代のすみか」としてここを選ばれたのがうなず
ける、心休まる場所で、きっとここから会津のその後をずっと見守って下さっている
ことと思います。
猪苗代から広く会津にかけて、野口英世博士や、古くは徳一上人のように、高き理
想に向かって邁進し、人々のために貢献した偉大な先人たちの軌跡をたどることがで
きます。
21世紀を目前に控え、会津が会津として未来へ受け継がれていくために、悠久の時
の中で育まれてきた、土地とそこに生きる人々、つまり風土を見つめ直すことがやは
り、大切かと思います。長い歴史の中では、今より困難な時代もたくさんありまし
た。逆境の中にあってなお、大義のために生きた人々。「ならぬことはならぬ」、こ
の言葉は会津人のガンコさだけでなく「正しいものは正しい」という誠心をも顕して
いると思います。利害得失だけではなく、正しいことを見つめる目。今日、生かされ
てあることへの感謝を広く世の中へ報いる生き方。何が本当に必要なのか、世界全体
の将来に目を向けることを、先人たちの生き様から学ぶことはできないでしょうか。
自然も歴史もそれを伝え守っていかなければ、いつかは途絶えてしまうかもしれま
せん。風土という言葉、私はとても好きです。風は太古の昔から吹いていて、たくさ
んの物語を運んできます。風は種も運びます。そして種を育み、芽吹かせるのが土。
土は生命を育み、人と人との関わりを産み、文化を育み、未来へとつながります。
会津の風土は、この地に生きた人々を深く知ること、生き方に学ぶことによって、
より輝きを増すと思います。苦難の時に、自らの運命をいかに切り開いていったの
か。どんな志で、いかに生きようとしたのか。風のような透明な心でしばし、先人た
ちの声に耳を傾けてみれば、自分もまた、大きな流れの中の一つのつながりであるこ
とを感じます。
一人一人が心の中に、連綿と続く生命のつながりを感じることができたら、歴史も
遠い過去の出来事ではなく、次の世代に引き継いでいくべきものが見えてくるような
気がします。時代が変わっても変わらない、会津の心、土地の光を、世界に向けて発
信していくことを願ってやみません。そしてこの美しい風土を心から愛する人がたく
さん現れますように。」

「磐梯山麓より会津へ思いを馳せて〜“風土”とは(会津嶺2000年 9月号より)