ペルーの紹介
1.PERU〜ペルー共和国
ペルーと聞いても、アンデスの山とインカ帝国のイメージしかなかった自分ですが、
来てみると実に奥の深い国です。
国土の面積は日本の約3.4倍。その50%はアマゾンの熱帯雨林地帯になりますが、
首都のリマ始め、海岸沿いのコスタとよばれる地帯は、年間を通してほとんど降水量
のない、乾燥した砂漠地帯です。アマゾンの密林地帯セルバとアンデス山脈の山岳地
帯シエラの3つの気候区にわけられます。
南極から来るフンボルト海流のため、南半球にありながら海の水が冷たく、そのため
がルーアと呼ばれる霧が発生しやすいけれど、雲はできないので、海岸地帯ではほと
んど雨は降りません。
公用語はスペイン語ですが、山岳地帯のインディヘナはインカ時代からのケチュア語
を、ティティカカ湖周辺ではアイマラ語が話されています。
インカ帝国以前、紀元前からいくつもの古代文明が栄え、遺跡を見ると、コロンブス
の新大陸発見以前にも、民族の交流は見られたようです。
2.ペルーの歴史
有名なインカは比較的新しい文明で、それ以前にもプレインカと呼ばれる、数々の地
方文化が花開いては滅んでいきました。
南米に人が住み始めたのは、約1万年前。かつて陸続きだったユーラシア大陸を渡
り、北米を経て南米へたどり着いたのでしょうか。
狩猟から農耕の生活が始まったのは今から7000年くらい前。今、日本やユーラシアで
私たちが日常食している食物のオリジナルは、実に南米からたくさん出ています。た
とえば、じゃがいも、とうもろこし、かぼちゃなど。数え上げたらきりがないほど。
紀元前1500年。アンデス最古の文明チャビン文化がおこります。ワラスにあるチャビ
ン・デ・ワンタルという5階建ての神殿を中心に、アンデスを越えて北一帯に広がっ
ていたため、その神殿の名をとって、チャビン文化と呼ばれて、その後1500年、紀元
元年まで続きます。
紀元元年になると、プレインカと呼ばれる地方文化が各地におこり、北のモチェ文化
(シパン遺跡で有名)、中央のリマ文化、地上絵のある南のナスカに代表されます。
紀元500年。クスコの左下,アヤクーチョを中心にワリ文化がおこり、同時期ティ
ティカカ湖の向こう、ボリビアでも太陽の門に代表されるティワナコ文化が栄え、こ
の影響をワリが受け、この時代はワリ・ティワナコ文化と称されます。ヨーロッパに
プラチナをもたらしたのがこの時期といわれます。
紀元1000年。今から約1000年前、チムー、チャンカイ、イカといった地方文化がさか
え、それらを統一して、1250年、インカ帝国がおこります。
クスコのケチュア族を筆頭としたこの帝国は、今までの地方文化を統一、吸収合併
し、情報網を整備して、短期間で領土を拡大し、南北は5300kmにも及ぶ大帝国
を築き上げました。
その領土は今の国境で6カ国にもおよび、面積は200万平方km。その真中に首都クス
コ(へそという意味)がありました。インカの正式名称はタワンティンスーユー、4
つの州という意味です。
しかし、栄華は1532年、新大陸を目指してやってきたスペインのピサロによって、カ
ハマルカでインカ皇帝アタワルパが捕らえられ、処刑されると、400年余に渡るイン
カ文明は幕を閉じました。
その後は19世紀初頭までスペインの植民地下にあり、1821年、独立派サン・マルティ
ン将軍のもと、スペイン王党派をやぶり、7月28日、ペルー共和国としての独立を遂
げました。
2001年6月3日には大統領選があり、新大統領トレドの新政権は7月から始まります。
・ ・以上の歴史は、天野博物館でガイドをして下さった光炎くんの話をまとめさ
せてもらいました。
3.ペルーの天野博物館
天野博物館蔵
リマ市内のミラフローレスという美しい住宅街にあり、創立は1964年。ペルーに
移住した実業家、故天野芳太郎氏が、長年にわたって集めた古代インカ・プレインカ
の土器や織物を陳列してあります。入場料は無料で、見学のためには電話での予約が
必要。日本語でガイドしてくれます。こじんまりした博物館ながら、その内容の豊富
さには驚かされます。天野氏の視野の広さや、博識もさることながら、その遺物から
古の人々の生活を感じ取り、私たちに示してくれる感受性、愛情といったものが、ガ
イドの案内からもそこかしこに感じ取られ、古代の品々を見ていると、それらを通し
て、アンデスの山や野に生きた人々の息吹さえじかに迫ってくるようです。
ここでは約1000年前におこった地方文化である、チャンカイ文化に特に注目されてい
ます。
この時代の土器は、色も形も簡単で、発見された当時はあまり見向きもされなかった
そうです。時代と共に土器は色をなくしていき、最後は白一色になります。これは日
本人のワビ・サビとどこか通じるかもしれません。
しかしながら、9割以上はチャンカイのものという織物を見ると、1000年前とは
思えないような、高度な織物の技術と、パターンの美しさ。千年前のラシャ布はしか
も、防寒のためでなく、装飾として、存在していたのです。透かし網の美しい模様に
息をのみました。レースの編物や、ろうけつ染、絞り染めもあり、埋葬用の造花に
は、糸で作られた鳥たちが木の枝にとまったり、とても手が込んでいます。当時、体
の変形している人、病気の人たちは、神様に特別な力を与えられた人と、考えられて
いたらしく、梅毒で体中に湿疹はあり、顔の溶けかけたレリーフも。ミイラを包んで
いた布には、6本の指のある手の模様。
今、生きている世界と死んでからの世界はつながっていると考えた彼らには、織り
かけの布を、一緒に埋葬する風習がありました。
酒を注ぐための土瓶に刻み込まれた様々の文様。人の顔や、動物たち、戦いの神で
あるふくろう。
遥かな時を越えて今、目の前にある、それらの瞳を見つめていたら、「お前はなぜこ
こへ来たのだ」そう問われているような気がしました。
ガルーアと呼ばれる深い霧が出るほかは、ほとんど雨の降らない、海岸沿いの砂
漠地帯。そのため、遺跡たちもこうして保存状態よく、私たちの前に現れたのだそう
です。海の水は、南極からの海流のため、冷たく、そのため霧が発生しやすい。
約1時間の館内見学の中で、ざっとペルーの歴史を聞かせてもらいます。
リマに着いたら真っ先に訪れたい博物館です。