ペルー日記(2001年8月)

8月8日

今日は、星野道夫さんの6回忌。

私の旅の原点となり、ずっと心のよりどころだった彼の命日を、世界のあちこちで、
たくさんの人々が、きっと祈りと共に、迎えているのだろう。
写真家・星野道夫というより、私は彼の文章、行間にあふれる人柄、世界観にたまら
なく惹かれた。

それは20歳の夏だった。初めて海外に旅立つ私の荷物の中に、彼の初めての著書
「イニュイック(生命)」があった。たまたま書店で手にし、ぱらぱらっと中をめく
り、冒頭から引き込まれてしまったまま、購入した。
「アラスカの原野を旅する」という副題にも惹かれた。

大学に入って最初の2年は、ひたすら北海道に惹かれ、長い休みになると自転車に寝
袋を積んで、走り回った。北の原野や、砂漠、広大な大地への憧れが、ずっとあった。

大学3年の夏休み、一念発起した旅の目的地はシルクロードの西の果てだった。
「行かねばならぬ」そんな思いで始まった一人旅に、母や親戚は猛反対した。言葉も
わからず、宿泊先も決めず、持っているのは行きの船の券だけ、あとは行き当たり
ばったり・・「そんなの冒険ではなく無謀だ」そう言われても、仕方がなかった。で
も、気持ちは走り出していた、そう、行かねばならなかったのだ。
その時、なぜかこの本が、私の気持ちを代弁しているかのように、すべてに、しっく
りきた。
何気ない風の感触に、ふっと背中をおされるように、人生の何かを決断するときがあ
る。思い煩うな、心のままに進めと・・
彼の言葉と一緒に、私の旅は始まった。

それから、大学を卒業するまで、いくつか旅を重ねた。

いずれも、生涯忘れ得ない出会いと、体験に充ちていた。

会社に入ると、仕事を通じ、人や自然、そして風土という新たな出会いを得ていっ
た。旅への憧れはどこかにそっとしまいこんでいた。なのに、なぜだったのだろう。
ある日どうしようもなくアラスカへ行きたくなった。止めようのないその思いは99
年の6月、私をアラスカの大地に立たせた。

そこは想像した以上に、はるかに大きく、野生の動物たちは手の届かない程、風景の
果てに、でも同じ時間と空間の中に存在し、それは本当に、言葉を失わせ、畏敬の念
を抱かずにはいられない世界だった。

そして、一人の先住民族との出会いにより、私は再び、もっと力をつけてこの地に立
つことを心に誓った。

自然との共生、エコロジー、そんな言葉を今更とりたてて持ち出すのも憚られるほ
ど、彼らの伝える教えは、何が本当に大切なのかを、心にじかに問い掛けてくる。森
を、海を、動物たちを、すべての植物たちを、そして人間を、敬い、いい関係を保ち
続けること。他者への尊厳。あらゆる生き物がつながって生きていること。そして、
すべての生命は、目に見えない遥かなつながりの中にある、と。

それを、知識としてではなく、体で、感じたいと思った。

1年後、森の中へ私はいた。カナダ、バンクーバー島の南西にある、「ウェスト・
コースト・トレイル」。約75kmの道のりを、必要な荷物をザックに全て詰めて、1
週間かけて歩く旅だった。

森の中にいると、あらゆる生命が絡み合い支えあい、存在していて、私たちを動かす
この体のように、無駄なものが何もないことを感じた。

一本の樹、草、コケ類、それを糧とする生物たち、そして、人間。すべてが見えない
つながりの中で、生きている。足元に続く道は、いつか誰かが生きるために歩いた
道。・・私の命は、私だけのものではない。たくさんの出会いに生かされてきた自分
・・すべてのことは、シンプルに、心に響いてくるようだった。

森の中で、私は少しずつ自分に出会い、世界に出会っていった気がした。何かを求め
て、でも何を求めているのかわからないまま、突き動かされるように、旅していた。
その出会ったすべてが今の自分につながっている。アラスカの大きな自然も、私を育
んだふるさとの風土も、すべて。そして私を照らし出してくれたのは、出会った
人々、一人一人だった。

出会いはすべて必然であると今、私は心から思える。そして人は、想ったことを現実
にしていく力を持つものだと信じたい。強く心動かされることはきっと、その人の生
き方に大きく影響を与えていく。個人の小さな願いはいつか、たくさんの人々を巻き
込んで、大きな流れになっていくこともあるはず。

自然の中にいる心地よさ、安らぎ、不思議、発見の喜び・・それらはいつしか誰か
と共有したいという願いとなり、このかけがえのないものを大切に守っていきたいと
いう、祈りになっていった。

人は一人では生きていない。仲間や、友人や、家族や、祖先や、自然や、世界や、地
球、宇宙。想像力をふくらませば、こんなにもたくさんのものとつながって生きてい
る。

森の中にいるときの敬虔な想い、それは祈りに似ていた。きっと、一人が祈っている
とき、誰かも祈っているのだろう。そう想わずにいられない何かが、森の中にはあっ
た。

そして、きっとみんな、心の中に、伝えたい誰かを持ちつづけ、旅を重ねているので
はないだろうか、そんな気がするのだった。

先住民族に伝わるビジョン・クエストという儀式がある。青年を迎えた若者が、自分
と出会うために、食べ物も何も持たずに旅に出るのだ。森の中を何日間かさまよっ
た、ある者は自分に出会い、ある者は精霊に出会い、帰途につく。それは大人になる
ための大切な通過儀式であるという。

この森の旅は、私にとってもささやかビジョン・クエストであった。

歩く旅、それは一歩一歩、その土地の魂を揺り動かし、出会うこと。歩かせてもらっ
ていることに感謝すら覚えるから、ごく自然に、私もまた森へ、樹々へ、語りかけて
いた。樹肌に触れ、祈った。すべての生命への感謝を。

そして自分を肯定できた。

どうして、ここにいるのか。帰ったら何が待っているのだろう。そんな答えの出ない
問いかけを持ちながら、始めの2日間は歩いていた。森の中にいる喜びを感じながら
も、道のりは本当に苦しかった。そして3日目、ふと心が楽になった。
今、たしかにここに生きている、それでいいんじゃないか。こんなにもたくさんの出
会いに生かされ、この時代のこの場所に、私はいる。それが私の人生であり、その表
現なのだ。それはきっと生きてきた意味になる。そう思えたとき、荷物の重さはもう
なかった。

・・・これらの想いの果てに、そして、今の私がある。


ペルー日記