メキシコ 旅日記
(2002年5月27日〜6月2日)
1.メキシコ合衆国について
首都メキシコシティ。大部分は熱帯の亜熱帯気候に属し、年間平均24℃以上の低地
帯、高度900〜1800mまでの温暖な高原地帯(年間平均18〜24℃)、年間
平均13〜18℃の高地帯にわかれる。
サボテンのはえる乾いた裸地と土壌侵略による荒地が目立つが、これは自然の植生を
人間が荒らしたことによるものらしい。
もともと熱帯雨林や低木林などの地域であったものが、たぶん人間が火入れしたこと
によりサバナ性に変わったとか。
古代文明の歴史は深く、謎のマヤ文明、アステカ文明など伝説に充ちた土地でもあ
る。主食はトウモロコシの粉を使って焼くトルティージャなど。
また、竜舌蘭というサボテンの一種から作られる強いお酒テキーラは有名。
2.メキシコシティ
都市としての始まりは1300年頃。伝説では神の子であるワシがサボテンの上に止
まり、テノチカ=アステカ族にテスココ湖中の島が約束の地であると示したという。
国旗にはこの伝説を元にワシの紋章が描かれている。
1521年に征服者コルテスの侵略によって灰燼に帰すも再建され、スペイン人はテ
ノチティトランの廃墟の上に、自分たちの町を作り上げた。
拡大する貧富の差、大気汚染、犯罪率の高さ・・と、ガイドブックによるメキシコの
紹介は、光と影なら影の部分も際立っているのですが、リマに馴染んだ目には、緑が
茂り、道路が整備され高層建物の並ぶ、きれいな大都会に見えました。ただ標高が高
く空気が希薄なため、自動車の燃料が不完全燃焼を起こし、深刻な大気汚染の原因に
なっているのは否めませんでした。
すでに初夏というより日本なら真夏の暑さで、冬が始まろうとする南半球からやって
きた身には、空の青さが殊のほか目に染みます。
海抜2000mを越す盆地に広がるこの都市には、古代の夢と現代とが同居している
といわれます。例えば、私達が泊まっていたホテルのあるレフォルマオ大通りは、メ
キシコシティのメインストリートで、19世紀の半ば、パリのシャンゼリゼ通りをモ
デルにして作られたそうで、緑列なる並木の下には色鮮やかな花々が植えられ、大通
りの両側には近代的なビルが立ち並んでいます。この辺りはソナ・ロサと呼ばれ、あ
る本によれば、メキシコで最も洗練された繁華街だとか。数年前までは小路のいたる
ところにあったという、屋台のタコス屋さんを求めて、二人で歩き回ったのですが、
今は1軒も見当たらず・・時代は刻々と町を変えているのでしょうか。
〜セントロ〜
セントロ(中心部)に足を伸ばすと、風景はまたがらっと変わります。憲法広場を中
心に、石畳を囲んでカテドラル(大聖堂)、国立宮殿と植民地時代の建物。銀のアク
セサリーや工芸品などのお土産ものの市がたち、大道芸人のまわりには屋台の料理を
頬張りながらの人垣ができています。
これらの建物はしかし、もとの王宮後や資材を利用して建てられたものでインディオ
が通路としていた水路は埋め立てられ、原住民は市内の居住を禁じられ市内の北と東
部に追われたそうです。
豪壮なカテドラルは1573年着工、完成は何と240年後の1813年というから
驚きです。バロック・ゴシック・ルネサンス・新古典主義と、各時代のすべての建築
様式が織り交ざって出来ています。残念ながらミサが行われていたため、内部は見学
することが出来ませんでした。
〜国立人類学博物館〜
各室は各々の時代・文明ごとに展示陳列されてあり、この地にいかに高度な文明が興
り、盛衰をしていったのかがリアルに伝わってきます。
まずはじめに文化人類学の部屋があり、アフリカでの人類誕生から、ユーラシア大
陸、ベーリンジアを経て、アメリカ大陸を南へとのびる、まさに人類のグレート
ジャーニーを、パネルで説明しています。メキシコ人のルーツを探る部屋へと続きま
すが、それは同じく私達のルーツでもあり、モンゴロイドの辿った旅路でもあるわけ
で、最初から目はくぎづけでした。
あまりに見ごたえがあって、一日ではとても満足行くまで見学しきれません。巨大な
石造に表された神々、当時のままに復元、彩色された神殿の一部、石に刻まれたアス
テカの暦、古代の人々の宇宙観。
一体本当に、私たちはどこからやってきたのだろう、いかにしてこのような高度な文
明が古のこの地に興り得たのだろうかと、謎は深まり目を見張るばかりです。
〜アステカ文明〜
現在のメキシコシティに花開いた最後のメソアメリカ文明。12世紀〜16世紀に繁
栄。幻の水の都「テノチティトラン」はテスココ湖の中の小島に建設されました。太
陽神信仰といけにえの文化が特徴。
アステカの人々は、太陽が沈んだ後、再び地上に現れるためには、人間の生き血が必
要であると考え、毎日神殿にはいけにえの心臓が捧げられたそうだ。
1519年11月8日、スペイン軍の上陸により、この偉大な文明もまた、インカ帝
国と運命を同じく、わずかなスペイン人に壊滅させられました。市内に残る「テンプ
ロマヨール」はカテドラル裏に無残な形でその傷跡を示しています。アステカの遺跡
の一部で、かつての大神殿の基底部分をなしていたそうです。しかし征服者達によっ
て原型をとどめないまでに破壊されていて、その様子はまるで地盤沈下によって崩れ
た家屋のように痛ましいものでした。
インカといいアステカ文明といい、なぜこうもたやすく、瞬時にして滅んでしまった
のでしょう。。一つには彼らの伝説が皮肉にも彼らを滅亡に導いてしまったようで
す。それは彼らが語り伝えていた再来の神のイメージが、やって来た白人の様子にあ
まりに一致してしまったこと。・・・不思議にこれはインカのビラコチャ、アステカ
のケツアゥルアトルと、共通していて、「失われた古代文明(リチャード・ムーニィ
著)」の仮説に再び興味がわいてきました。
〜テオティワカン〜
紀元前2世紀〜紀元後7世紀にかけ、メキシコ中央高に栄えた文明。巨大な祭儀文化
を築いたオルメカ文明に変わって登場。テオティワカン=神々の地。
都市の中心には「太陽のピラミッド(高さ65m)」
メソアメリカ史上最大の都市国家を築き、ピラミッドは墳墓ではなく神殿として建て
られ、面積ではエジプトのものより大きいらしい。古いピラミッドの上に新しいピラ
ミッドを重ねて作るため、階段状にできている。これらのピラミッドの頂上に神殿が
築かれていたそうだ。
急な階段を文字通り目をくらませながら上ると、そこからは遺跡を取り囲む広大な平
原と、確固とした計画の下に整備された主要道路とそれに面した神殿群の整然とした
並び、歩いているときには気づかなかった幾何学模様が見て取れる。それにしても下
りのこわかったこと。。一瞬の気の迷いでふらっとそのまま落下しそうになるのをこ
らえるのに一苦労。
「死者の道」道幅45m、長さ4kmにわたり、テオティワカンの遺跡を南北に走
る。すべての建造物はこの通りに沿って建造されている。
一番奥に「月のピラミッド(高さ45m)」。
「ケツァルパパロトル=羽毛のある蝶」の宮殿。中庭をはさみ四部屋あり、内部の壁
や石柱には浮き彫りがのこり、装飾に使われた朱色が鮮やかに残っている。
「ケツァルコアトル=羽毛のある蛇」信仰
神々への信仰は人々の心の支え。周辺には広大な住居地帯に多種族が住んでいたらし
く、また各地からの巡礼者も多く集まってきていたといわれている。
メキシコシティから車で約1時間。
3.ユカタン半島
湿度80%、夏は平均気温44度にもなるという熱帯性の高温多湿気候で、年間平均
26℃から32℃という熱さに、道路もとけてしまうため、年に4回は作り変えると
いう。冬は乾燥するサバナ気候。石灰岩の平坦な台地で、海岸は沿岸洲とサンゴ礁が
発達している。カンクーンはいまやカリブ海屈指のリゾート地。
標識のない真っ直ぐな平坦な道沿いには、低木林が茂り、焼畑の後も見られる。緑色
の平原にはさえぎるものがなく、雲の形が完全なまま、その影を大地に落としてい
た。
〜謎のマヤ文明〜
グァテマラやユカタン半島を中心にマヤ文明がおこったのは紀元前一千年とも。
世界最優秀な数学者達を有し、すぐれた天文学の知識をもち、正確な暦をもってい
た。何十万年というあいだの正確な年代を計算し、マヤ文明独特の文字「神聖文字」
をもち、神殿に刻まれた壁画には日付と事蹟が刻まれているらしい。0の概念、天文
学、暦、現代の我々が賛嘆すべき正しい太陰暦を算出していたというから、その文明
の高さは驚嘆に値する。
カリブ海側の低地ジャングル地帯にかけて多くの宗教都市。密林の木を切り払って建
設された。マヤ地域にはユーラシア大陸の古代文明のおこった地のような大河も農業
に適した広大な土地もない。赤茶けた粘土質の土と、雑草や高木の中で、彼らはこの
特異で高度な文明を発展させたのだ。
マヤの子孫達のなかには今もマヤの言葉を使う人たちも居る。背は低めで、褐色の肌
と黒い髪。世界で最も短頭形の民族だそうだ。
ウシュマルの遺跡に着く前に寄った町では、陶器や壁画などのレプリカを作るマヤの
末裔の方がいて、その精巧で美しい作品には息をのんだ。
天高くそびえ立つピラミッドと、多くの部屋のある建物に囲まれた広場が、すべての
宗教都市の特徴。石碑には神々や神官、高貴な人々が描かれている。
マヤの神々で最も重要なものは、生活の基盤となるトウモロコシの成長と関係する
神々。東西南北の4つの宇宙の方向と、それぞれを象徴する色、赤・黒・黄・白。ト
ウモロコシもこれらの色を持つ。またマヤの宇宙観によると、十三界からなる空は、
宇宙の4ヶ所で木と神々の差し上げた腕とで支えられていて、
そのもっとも下の世界に惑星・星・夜・暗黒の象徴で飾られた天界のドラゴンがお
り、地下には9つの下界とその最下界に死の神をおく。
人身供犠として心臓または血を捧げていた。
〜ジャングルにそびえるウシュマル〜
マヤ文明を代表する壮麗な遺跡「ウシュマル」はユカタン半島の中心都市メリダから
車で約2時間。ジャングルの中に突如、他に例をみない円錐形のピラミッドがあらわ
れる。
ウシュマルとは「3回建てられた」あるいは「豊かな実りの地」という意味。
「魔法使いのピラミッド」
魔法使いが一夜にして建てたとも伝説では言われている、不思議な丸みを持った美し
いピラミッド。高さ30m。実際はこれらの建物群は実に550年の月日のなかで建
設を重ねていったらしい。もちろん登れるが、覚悟を決めないと落下する人も何人か
はいるというほど、石段は急勾配である。一応くさりが1本、補助としておかれてい
る。上から眺めると、低木林の茂る大平原の中にこれらの遺跡群が屹立する様が一望
できる。
ピラミッドの後ろ(西)に「尼僧院」。神に仕える人々が生活していた。きり石モザ
イクによる様々な模様が壁面を飾る。主要な模様はククルカンと呼ばれる「羽毛の
蛇」。これはケッツァルコアトル=羽毛の蛇に同じで、トルテカの神である。トルテ
カ文明の影響が大きく、950年から1000年の間に中央メキシコで栄えたトルテ
カ族との戦いによる征服が行われたとみられる。
南には「総督の館」。大きさ、壁面の精緻な彫刻など圧倒的。雨の神チャックの顔が
壁面いたるところに刻まれてあり、それをとりかこむように蛇の文様がある。彼らの
主食であるトウモロコシの実りのため、強い雨が降るようにと祈りを捧げていたのだ
ろう。大きく開けた蛇の口から人の顔が除く不思議な文様も。
9世紀になり突如、広大なジャングルと壮麗な神殿群だけを残し、古典期マヤ文明は
滅亡し人々は消えた。マヤの民は神殿も町も放棄して、ある日突然、姿を消してし
まったといわれている。
一体どこからやってきて、どこへ去っていったのか、それは誰もわからない・・とガ
イドの言葉が耳に残った。
〜戦いの神々 チチェンイツァ〜
チチェン=井戸のほとり、イツァ=水の魔術師。
古典期マヤ文明としては6〜7世紀に隆盛を誇った。しかしいったん廃れ、再び10
世紀になってトルテカ文明の影響を受けながら栄え、多くの建造物を残した。名前に
あるように天然の泉を多く蔵し、聖なる泉の地として、多くの巡礼者をあつめてい
た。
「カスティージョのピラミッド」カスティージョとは城のこと。幾何学的に建造され
て美しい形。四方の91段の階段と頂上の1段とで1年365日を表している。
春分・秋分の日には神殿の斜面に「ククルカン」と呼ばれる蛇の模様が現れる。
「球戯場」マヤにおける神聖な遊びであった球戯。石の壁にはさまれてコートがあ
る。手を使わずに足、腰、前腕部だけ使って天然ゴムのかたいボール(重さ150
g)を相手コートに送り込む。壁にとりつけられた石の輪をボールがくぐると、それ
までの得点に関係なく勝利となる。宗教的な奉納儀式をかね、ボールは太陽や月、
星、天体などの運行を表していたとも。
この遺跡に向かって手をたたくと、なんと7回、両側の壁に反響して音が空へとぬけ
ていった。
「戦士の神殿」
神殿前には戦士のうきぼりがある石柱が立ち並び、頂上には、中央に蛇神「ケツァル
コアトル」、その前に横臥する戦いの神「チャックモール」像。この台座の上に生贄
の心臓が捧げられたのだろうか。
「カタツムリの館」
円形の建物で、内部にらせん状の階段がついているところから、カタツムリの名を冠
している。実は天文観測所。内部に三方向に開いた入口は、各節分に太陽もしくは月
の入りを見ることができるらしい。
この遺跡は何より、観光客の多さと徹底した開発、ガイドの活躍ぶりに驚いた。
まるでディズニーランドのようなにぎわいで、入口にはきれいに整備されたホテル並
みの建物、ショップが並び、各国語のガイドがそれぞれのグループをひきつれ、遺跡
めぐりに出発する。
夜には光と音のショーが繰り広げられるそうで、古の夢も、さまされそう。。
〜アステカの伝説〜
「ケツァルコアトル・・この偉大な神官兼国王は、学問の教師でもあり立法者、徳の
高い王子、優れた建築家、慈悲深い裁判官であり、建築家、天文学者、巣学者達を連
れてきた」
「ケツァルコアトルは、賢明で思いやりがあり慈悲深かった上に、トウモロコシの実
と他の食物を与え、神々は人間や動物達の生贄を必要としないが、果物、パン、花々
を供えることを教えた」 (「失われた古代文明」角川文庫より)
「輝く太陽のあるところ、その宝珠空にある限り、光の神ケツァルコアトルの永久に
治めるところ」 (アステカの歴史家テソソモクの言葉より)
〜マヤの伝説〜
「最初の文明は海から大到着のときにやってきた<年老いた白人の父たち>の手で作
られた」
「ククルカンの情け深い統治のもとで、この国は平和と繁栄の太平を楽しんだ。収穫
は多く、人々はかれらの家族と領主たちのために日々の仕事を喜んで勤めた。かれら
は武器の使用どころか、獣を追うことも忘れてしまい、罠と落とし穴で満足した」
(「失われた古代文明」角川文庫より)
・・・インカ伝説の白い人<ヴィラ・コチャ>、アステカの<ケツァルコアトル>、
マヤの<ククルカン>。これらの文明の創始者にまつわる伝説の間には、不思議な一
致がある。いずれも海または湖の向こうからやってきた、白い服をまとい髭をはやし
た背の高い王なのだ。その伝説の姿は、スペイン人の征服をたやすくさせる原因とな
る。それにしても古代文明の失われた環「ミッシングリング」にいよいよ興味をよび
さまされる。